Tuesday, December 7, 2010

NIKE SUPPORT FIXED GEAR SCENE MORE...



I have seen so many Company's trying to reach our "fixed gear" culture since MASH happens in the world tour.... Some company tried to support says "NO BRAKE, NO PROBLEM"... some says, "NO BRAKE, YES PROBLEM" or something... In Japan, the most updated scene was "SINOxNIKE"...in NYC...

here they come again from LA... NIKE still believes that we kicking it. They never give up for anything.

take a look at interview of MICHAEL CHACON.


サイトの日本語訳

ゲームチェンジャーよりもすごい奴 ー マイケル・チャコン
マイケル・チャコン
拠点:カルバーシティー、カリフォルニア州
フィックスギアフリースタイラー
スポーツ:フィックスギア

写真:ジャー・テクソン

  • ロサンゼルスは君にとってどんなところ?
ロスのフィックスギアシーンはぶっとんでるね。だんだんと、みんながトリックっていうのを理解し始めたし、俺のスポーツだっていう事に関しても。そういうのが俺のモチベーションをキープしてくれてるんだと思う。

  • 子供の頃の影響はあったの?
親父と一緒に良く出かけてたな、ローライダーカーショーとか、スポーツしまくって、アクティブにね。

  • スポーツっていう部分で君のフィックスシーンに影響は?
スポーツで数少ないメキシコ・アメリカ人でスポンサーされてることに誇りを思うね。

  • 自分の育った街は君にとってどんな意味がある?
そりゃあ絶大だよ。家族の歴史がいっぱいあるんだ。両親二人ともここで育って、祖父母も同じくね。俺の両親はローライダーとしてロスでは有名なんだ。みんなが俺のやってることを知ったのは、両親を通してだったし、みんながストリートで声かけてくれるんだ、ポジティブな事をしてて嬉しいってね。

  • ロサンゼルスをどうやって表現して、自分を代表と感じている?
何世代にも渡っておれの家系はロサンゼルスで続いているんだ。1920年代に、俺の曾祖父はメキシコからロサンゼルスまで鉄道作りにカルバーシティーまできたんだ。他の曾祖父は、1930年〜1940年代の時に、カルバーシティーのMGMでフィルム制作に携わってたし。曾おじさんは、最新流行のスーツ仕立て屋だったし。俺の母親は、25年間くらいエンターテイメント系の会社で働いてて、子供のとき良くテレビ番組をテーピングしたりして手伝ってたよ。今になっては、プロダクションのアシスタントとして働いてるけれどね。なんてったって、ロサンゼルスは俺の血だし、俺のビデオでは、ロスの有名な場所を使ってるんだ。ベニスビーチとか、UCLAとか、サンタモニカとか、カルバーのダウンタウンとか、ロスのダウンタウンの橋とか、もちろん歌だってロスに関するものとかね。

  • 今描いている将来の仕事は?それに今向かっている?
昔はずっと野球選手になりたかった。でも、やめて今は自転車を走らせてる。これが俺が愛してやまない情熱の一つだと思うよ。


これは1年前の映像。今は18歳になったのかな?練習して1年足らずでこのレベル。すごい。

Michael Chacon from Danny Puckett on Vimeo.

No comments:

Post a Comment